2017年07月27日

新ルンピニースタジアムのムアイタイ

筋トレを2日連続でやったら身体中の痛みが半端じゃ無いです…。情けないなあ…。身体痛いで思い出しました。タイの新ルンピニースタジアムでのムアイタイ試合です。元々はルンピニー公園のそばにありましたが、今はドンムアン空港の少し先に移転しました。これは14年12月頃に撮影してきたものですが、観客の盛り上がり方がすごいです。本当はもっと画素の高い綺麗な動画なんですが、配信時のデータ量の関係から圧縮してあります。雰囲気だけですが、現場の熱気が伝わると思います。

ラベル:タイ
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2017年07月26日

UAEの秘密

真面目な話が続いたのでこの辺りで少しエロを挟んでおきます(笑)DUBAI=ドバイに行った時の話しです。詳細はほとんど話せませんが、某大手企業との商談でこの地を訪れました。元々この地域はイギリスによって管理され、東インド会社への貿易中継地として栄えた歴史を持ちます。また私は当時マニラに住んでいたのですがフィリピン人の出稼ぎ労働者達がこぞってドバイへと働きに出かけていました。とにかく自分の身の回りでドバイの話が出ない日はありませんでした。物凄く注目を集め、活況を呈していたこの国へ行ってみたいと思っていた矢先に仕事の話が私にも舞い込んだのです。世界一の高層ビルであるブルジュハリーファが完成する前の2003年頃のことでした。

現地では日系大手ゼネコンと日系商社の駐在員が出迎えてくれました。商談を終えアラブ人の客先を交えて彼等と食事をした時に色々な話を聞かされました。この国はインド人とパキスタン人、フィリピン人達が出稼ぎ労働者として建設現場を支えていました。2年契約で月給は3万円。日本と比較すると恐ろしいほどの低賃金ですが、継続して安定した収入が得られることは彼等の本国では難しいことですのでこれでも魅力的な条件だということでした。また街は元々砂漠ですので何もないと言っていました。見るべき所は高級ホテル群とリゾート邸宅群くらいだと。後は労働者の住む鄙びた居住区があるがそんなものを見てもあまり意味がないと。

商談相手の成金アラブ人達は優雅な生活を送っていました。とにかく金さえ出せば手に入らないものはありません。イスラム教の戒律が厳しく規制で雁字搦めのイメージがありますが、実際には全く逆です。食事の後に連れて行かれた高級クラブでは世界各国の一流酒が置いてありました。そして接客をする女性達は美女ばかり。ロシア人、インド人、パキスタン人が多くいました。私の隣についたインド人の女性は訛りのない綺麗な英語を話す人でした。ホテルに戻る事になり会計をしようとすると商社マンが耳打ちしてきました。連れて帰りますか?

流石の私でも映画女優のような美しい女性達がそこまでするとは予想していませんでしたので、この一言には非常に驚かされました。いや、私はインドの方はあんまり好みではないので…と相手の申し出を適当に流しました。するとアラブ人達は私が接待に満足していなかったと思ったらしく、それでは後ほどエスコートサービスの情報をメールで送ります、と言ってきました。海外では高級コールガールに接客をさせることをEscort Serviceと言います。そして送られてきた資料がこの写真のようなものでした。100% Verified Photoと言うのは、加工された写真ではなくて本当にこの通り偽りの無い内容であることを確認済みです、という意味です。東欧諸国の他にも中華系も沢山の写真が掲載されていました。

ドバイは表向きは厳粛なイスラム教国の体を装っていますが、実際には金さえ出せば何でもできる酒池肉林の国なのです。いやいやいや、まるで映画みたいな世界ですが、あるところにはあるものです。

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ラベル:ドバイ
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2017年07月25日

外灘の旧金融街

黄浦江沿いに建ち並ぶ旧金融街は上海を象徴的に表す観光名所で外灘(ワイタン)と呼ばれています。東インド会社のアヘン貿易。その違法な取引で稼いだブラックマネーをロンダリングする為に作られた銀行の集積地です。その中の一つに1955年までチャータード銀行上海支店が入っていた外灘十八号(ワイタンスーパーハオ)というビルがあります。このビルの竣工は1923年でした。パーマー&ターナー事務所が設計した新古典主義の建築スタイルの建物で、今ではカルチェなどの高級店が入っています。

私は産業革命以降の近代〜現代史が好きで、一度この金融街を歩いてみたいと思っていました。外灘十八號に着くと直ぐに時代を感じさせる幅の広い階段を昇って行きました。もし出来るなら屋上から上海の街並みを眺めてみたいと思ったのです。船の往来に20世紀初頭の上海を思い浮かべながら、写真を撮りたいと興奮していました。屋上に辿り着くと扉があり、その前に美しい中国人女性が立っていました。「まだ開いてないわよ。17時過ぎに来るといいわ。」と彼女は言いました。屋上には何があるのかと尋ねると、「Rougeよ、後で来れば判るわ。」と言って扉の奥へと消えていってしまいました。私は出直すことにしてホテルまでの道を不思議な気持ちを携えながら戻って行きました。

暫く寝込んだ後、気がつくと外はすっかり暗くなっていました。ホテルを出ると南京東路は煌びやかなネオンに彩られ怪しく輝いていました。沢山の人通りを掻い潜って私はRougeへと向かいました。ビルの階段を昇りきるとそこには真っ赤なライトに染められたバーがありました。中にはカウンターがあり、白人達がカクテルを手に談笑していました。想像外の展開に驚きつつも、私は喉の渇きを潤す為にバーテンダーにリコメンドカクテルを頼みました。「あんた日本人だろ?だからこれを作ったよ。」と言いながら彼が手渡してきたのは「ワサビマティーニ」と呼ばれる創作カクテルでした。

カウンターを離れバルコニーへ進んでいくと、魔都上海の夜景が眼前に広がっていました。たなびく五星紅旗を見上げながら栄枯盛衰の歴史を幾重にもなぞって来た黄浦江に乾杯しました。思いがけずこんな飛び抜けた場所に来てしまい戸惑っていましたが、近代上海に集まった商人達も私と同じように大都会の空気を謳歌していたのだろうかと思うと嬉しくも滑稽な気分に満たされました。人々を魅了して止まない上海。絶世の上海美女との出逢いはこの後、この夜のことでした。

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ラベル:中国
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