2018年01月23日

降雪のワーカホリック日本

2018年1月22日の東京での降雪は4年ぶりということで大きく報道されています。特に交通網の麻痺によって通勤・通学に大きな影響が出ているとのことなんですが…。

雪が降ると分かっていて何故働き続けているんでしょうか?予報は大当りで昼からの積雪でみんなが帰れないというんですが、雪の被害ばかり報道されてて、社員を帰さない会社については何にも言及されてないんです。不思議です。

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そのせいで帰宅が遅れる訳ですが、それって雪というより会社のせいじゃないんですか?いつもの倍時間がかかっても残業代は一切出ません。会社出た後ですからね。でも遅く帰らされたのは会社のせいですよね?事務所出たあとの事なんか知らん!ということになってるんですよ。みんな、これをおかしいとは感じないんでしょうか?

香港では台風が直撃する事が多いのですが、風の強さによって予想される被害状況が数字で発表されます。例えばシグナル5とか、シグナル6という感じで。で、シグナル8になったら強制的に会社は終了、全員帰宅しなければなりません。そういうことを政府が決めているんです。それによって被害を最小限に留めておく、ということですね。

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これを経験すると日本での放置状態がちょっと理解出来なくなります。あたかも、人によって忙しさは違うんだからさ〜とでも言われているような…気さえします。ですので今回の東京の様子は奇異に映って仕方が無いです。
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2018年01月22日

Podcast考

下記は昨年(2017)ForbesのWEBに掲載された記事で、ポッドキャストがアメリカで非常に人気が上がっていることを伝えたものです。リスナー数も年々増加しており、その理由が挙げられています。

日本ではポッドキャストは下火です。マネタイズ出来なかった地上波のラジオ局が撤退したことが大きな理由かと思われます。今ではラジコなどのアプリで地上波のラジオは何時でも聴けますし、またWEBラジオも利用出来ます。あまりポッドキャストが利点を持つことはないのかもしれません。

義士庵は細々と放送を続けていますが、今年は配信回数を増やしていこうと考えています。続ける以上、盛り上げていきたいです。ではどうしたらリスナー数を獲得できるか?を考えてみたのですが、やはりひとえにコンテンツの魅力につきると思います。要は面白くなければならない、ということですね。

ではどういった番組が面白いのか?を考えてみました。ポッドキャストのリスナー数上位番組はプロに拠るものが殆どです。では資本の少ない素人の番組がどう対抗していくのか?ということなのですが…。いろいろと思案した結果、他では聴けない番組にすることだという結論に至りました。

簡単に言うと素人ならではの、ヤバい話をもっとぶち上げてよいのではないかと思っています。地上波では恐らく聴けない、クリーンではない話をメインに持っていこうと、そう決めました。よくよく考えてみれば旧番組は滅茶苦茶な内容でした。実は配信当初からポッドキャストの限界に挑戦するという目標がありました。どこまで無茶が出来るのかを実験していました。

他では聴けない話というのは、何も旧番組の方向性を再現するということではありません。義士庵のメインテーマはあくまでも「旅」です。それを主軸に話題を展開していきます。そしてより「リアル」な内容にしていこうと思っています。さすがにいきなり豹変することは出来ませんので徐々に変えていき、刺激的な内容にしていくつもりです。とりあえずは配信回数を増やすことを目指して頑張ります!2018年からの新しい義士庵にご期待下さい。

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写真はメコンデルタへと繋がる支流



posted by ランボルギーニ・タコラ at 20:54| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月20日

タイ旅行最強ナビ

辰巳出版の「海外旅行最強ナビ」「アジア旅行最強ナビ」に続き「タイ旅行最強ナビ」にも参加させて頂きました。既に書店で発売されていますのでよろしくお願いします。

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私が初めてタイの地を踏んだのは1973年9月のことです。商社マンであった父親の転勤について行きました。そのころのバンコクはBTSがなくスクンビットから延びるソイは全て砂利道でした。ビジネスディストリクトのバンコク中心部を除くと高層ビルなど一軒もなく空が高かったのを覚えています。子供だった私に与えられる遊び道具は殆どなく砂利道で脱皮した蛇の皮などを見つけては喜んでいました。その頃はまだ日本からの駐在者は稀な存在でした。自宅は低層のマンションで広大な敷地には運転手と女中が同居しており、ガーデンエリアには大きなプールがありました。今と違い相当に待遇が良かったのだと思います。父親は部屋の中でドライバーを振り回して練習していたのを覚えていますが、それくらい天井が高かったです。

そのマンションはソイの26の辺りにありました。数年前に訪問してみましたがその頃の雰囲気は全くありません。唯一、ソイの道幅だけが何となく思い出される程度。周囲の建物もすべて建て替えられていました。ただ時折通るシーローが今も変わらずに使われているのを見てとても懐かしい思いがこみ上げてきました。すっかり大都会に豹変したバンコクが時折見せる昔と変わらない顔が私にとっては特別なものなのです。第二の故郷というには大げさですが、バンコクにはそんな思い入れがあります。後年大人になってから旅行者として訪問し沈没生活も経験しました。今はビジネスで訪れる街の一つになりました。

この本ではプラクルアンと音楽のことを書きました。タイ好きの方々に今までとは違った魅力に触れるきっかけになればと思います。原稿を依頼してくださった丸山ゴンザレスさんにはこの企画に参加させてもらったことをとても感謝しています。

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この通りに住んでいましたが当時は砂利道でした。

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こういう果物売り、ジュース売り、アイスキャンデー売りが当時もいました。
ラベル:タイ
posted by ランボルギーニ・タコラ at 13:39| Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする