2017年07月18日

ジャカルタ・スラムツアー

世界銀行の調査データによると2014年のインドネシアの貧困ラインは11.3%です。貧困ラインとは世界銀行が設定する指標で、1日を1.25ドル未満で生活する貧困層のことです。世界では10億人強と言われています。インドネシア人口は2億5000万人ですので、貧困ラインは約3千万人弱となります。

インドネシアは多数の島から構成される国ですが、中でも首都圏ジャカルタを含むジャワ島には1億人がいると言われています。貧困ラインを当てはめてみると1,130万人という計算になります。しかし数字というのは捉え方によって如何様にでも解釈を変えられます。ビルゲイツが自らの慈善事業が世界的に貢献していることを伝える為に、もはや世界の貧困はなくなったとする発表をしました。しかし、実態はどうなんでしょうか。

私は2013年にジャカルタに来た際に直ぐスラムツアーに参加しました。この時に作家の嵐よういち氏も誘いました。その時のことを彼は著作"世界「誰も行かない場所」だけ紀行"に書いています。このツアーは貧困層の実態を実際に見て貰い理解してもらおうという趣旨の元に開催されています。その参加費がNGOへの寄付金となります。勿論、弱者を見世物にしているという批判があります。

しかし、自ら体験せずして語ることなど出来ないというのが私の持論です。これは見なければいけないと使命感さえ感じてツアーに参加しました。その中で最も強烈な印象を受けたのがこの写真の線路際に住む人々です。この線路は廃線ではなく実際に電車が走っています。写真を撮る間にも何度も列車が通過していきました。ここに家族が居を構えて暮らしているのです。

暫くそこにいるうちに私はあることに気が付きました。15歳以上の働き盛りの人間が全くいないのです。そしてもう一つ。この場所は風俗街で有名なKOTA地区に隣接しているということです。煌びやかなネオンの下で似合わない化粧と衣装を纏った女達を目の当たりにして来ましたが、ほぼ間違いなく彼女達はこのような地域からやってきたのでしょう。いや、もっと正しく言うならば、売られてきたのです。

拙いインドネシア語をなんとか駆使して彼女達に聞いたことをまとめると、一人の客を取って貰えるのは8万ルピアでした。今のレートでいうと720円です。そして、店からは食事代、衣装代などと様々な名目でのピンハネがされています。そして、お前は何人の客に抱かれろとノルマが課されています。これは女達が売られてきた時には全額が払われず、ノルマを達成した後で残額が支払われる仕組みが取られているからです。まさに生き地獄です。

一方男達は遠洋漁業や建設現場に駆り出されていくと聞きました。ジャカルタの繁栄を下支えしているのは彼らということです。そんな社会の語られぬ仕組みがスラムを見ることによって浮かび上がって来るわけです。このツアーには後日、丸山ゴンザレス氏も案内しました。彼はまた違った視点でスラムを捉えていたことが私には新鮮でした。世界の他のスラムと比較して悲壮感を感じない、という言葉に私はハッとさせられました。何故なら貧困層の人々にイスラム教の耐える精神が根付いている事を感じたからです。

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2017年07月17日

運転手

ジャカルタが都市化をしたのはここ10年のことだと言われています。乱立する大型ショッピングモール群。2005年頃に出来た南ジャカルタのショッピングモールCITOSは、それまでの富裕層向けの豪奢なモールとは違い庶民向けのモールということで開店時にはTV取材が行われたり、ドラマが撮影されたりと、大変な話題になりました。CITOSが出来る前までは人々の暮らしは首都圏ジャカルタといえども派手な要素はあまり無かったと聞いています。

その頃から徐々に悪化し今では世界最悪とも揶揄されるものがあります。それは渋滞です。昔はアジアの各国でも酷い渋滞がありました。バンコクやマニラなどは顕著な例でした。しかし、長い年月をかけて既にそれらはおおよそ解消されたと言って良いかと思います。ラッシュアワーはありますが、以前ほどではありません。

しかし、ジャカルタは今が旬なのです。今こそがバブル時代なのです。窓の外を見回すと建設工事を行っていないエリアが全くないほど街は活況を呈しています。何十年も前に新宿高層ビル群が建設中であった頃の風景が頭を過ぎります。細い路地を見ても次々に新しいレストランやバー、様々なショップが開店し続けています。

さてそんなジャカルタで私は車通勤をしています。但し、自分では運転していません。お抱えの運転手がいます。こう言うと聞こえはいいのですが、実はそうせざるを得ない二つの理由があります。まず、恐ろしい渋滞と最悪のマナーによって交通事故に遭う危険性が非常に高いということ。そして、もし事故を起こして人を轢いてしまったら、外国人はどんなに相手に非があろうとも絶対に裁判では勝てないということです。

運転手がインドネシア人であれば、そこまで酷い判決にはなりません。ところが外国人が加害者となるとほぼ漏れなく示談が行われます。そして殆どの場合において恐ろしく巨額の請求を受けることになります。裁判官は被害者とグルです。もし示談が不成立となると、無期懲役もあり得ます。更には公開鞭打ち刑もあり得ます。司法判断は裁判官の想い次第でどうにでも転がります。

運転手がいる生活とは決して豪華な暮らしぶりを表しているのでは無く、そこまでして身を守らねばならないという不安定な社会の一端を表しているということなのです。このような日本では考えられないような出費が発生します。早く鉄道網が拡充されることを願って止みません。

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タグ:面白い話
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2017年07月16日

チェチェン人のターニャ

リスナーさんからご質問頂きました。Podcastファッカー電撃隊で話しているロシア人のターニャさんはどんな感じなのですか?と…。でも、もう写真が無いんです。その後に付き合った女性に写真を発見され、何故そんなものをいつまでも持っているのか?と問い詰められた為、勢いで捨ててしまったんです。

で、今回画像検索を駆使してターニャに似た顔の写真を見つけてきました。それがここに添付されているものです。ちょうどこの女性の感じに似ています。目元が特によく似ています。ターニャはこのルックスに似つかわしく無い激エロな人でした(笑)

学生時代の友人が当時丸紅に勤務しており月末に接待費が余ったということで赤坂のインターナショナルパブに行ったんだそうです。その時に意気投合したロシア人チャンネーとデートをすることになったんですが、相手が最初は二人っきりではなく友達も連れて来たいと言った為数合わせで呼ばれたのが私でした。そして勿論その友達がターニャでした。

そのダブルデートでは東京タワーに行きましたが、幸運にも私はいきなりターニャに気に入られ展望台で彼女に唇を奪われるというとんでもないスタートで付き合い始めたのでした。身長が160cmとロシア人にしては小柄でしたが、手足が長く青い瞳の金髪でしたので非常目立つ人でした。よくすれ違う人達にジロジロ見られました。言わずもがな、何でこんな変な男がこんな美女と手を繋いで歩いてるんだ⁈ってことですね(笑)

その後のストーリーは電撃隊でお話ししたとおりです。最後はこれまた劇的な幕切れで関係は終了。3ヶ月間の思い出を残して彼女はロシアに帰って行きました。チェチェンに近いところだと言っていたように思います。その後ロシアに行こうと模索しましたが当時はビザを取得するのが大変で実現しませんでした。今頃どこで何をしているやら。短いながらもこのラッキーな経験のおかげでその後どんなに綺麗な女性と会ってもビビらなくなりました。

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追伸
先月末に義士庵の福岡イベントで帰国した際に東京の実家に寄って来ました。その時に偶然ターニャから貰った手巻き式のロシア製腕時計を見つけました。私の誕生日に記念にと彼女がくれたものです。今でも狂い無く動くのがすごいです。

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