2017年08月06日

アメリカの思い出4

「あれ、Jamesは?」「子供を学校へ迎えに行くからって、さっき帰ったぜ。」とこんな会話は日常茶飯事でした。アメリカでは保育所や託児所が殆どありません。一握りの大企業だけが会社内にそのような施設を設けているのです。そんなことも知らずLAへ着の身着のまま渡ってしまった私は、アメリカは男女平等が進んでいて女性の社会進出の為の施策が積極的に進められているものだと思い込んでいました。実態はまるで逆。共働きでなければ暮らしていけない為、女性も働かざるをえないというのが現実の姿でした。時には既述のとおり男性が子供の面倒を見なければならないこともあります。兎に角、暮らしにくい社会、それがアメリカ。映画の中に観た洒落た日常や広大な庭に囲まれた邸宅、ハイウェイを颯爽と走る高級車、そのどれもが全て幻でした。

LAには日本人と韓国人女性が働くソープランドがあります。日系食堂で働く若い日本人女性がこっそり耳打ちしてきました。「今月チップが少なくってさ、家賃やばいんだ。後で良かったらここに来てよ。」と言って住所と電話番号が書かれた紙切れを渡してきました。馴染みのラーメン屋のウェイトレスがソープで働いていたことを知り驚愕しました。私も経済的に余裕は無くそこへ行くことは出来ませんでした。しかし、沸き起こる好奇心から私は後日彼女に電話をかけてしまいます。「助けになれなくてゴメンね、自分もギリギリだからさ…」「ううん、いいよ。やっぱりそうだよね…」。元々彼女は留学生でした。大学で知り合った白人男性はジャンキー崩れのバカで、彼女と付き合い始めるや否やドラッグ代をせびり始めました。気がつくと日本から送金された授業料が無くなっていました。

英語で囁かれる愛の言葉は耳に心地良く、彼女は盲目的に男性の言いなりになっていました。しかし大学に行けなくなるような事があっては親に顔向けが出来ません。異国の地で頼れる友達も少なく途方に暮れている時に、盛り場で見かけたことのある女友達からソープの話を持ち掛けられました。渡りに船とばかりに何の躊躇も無くその仕事を始めてしまいます。しかし、急に金回りの良くなった彼女を男性は疑うようになり、挙げ句の果てには酷い暴力を振るうようになりました。やがて男性は大学を中退し故郷の田舎町へと去って行きました。彼女自身は成績が落ちてしまい、やはり中退を余儀無くされました。「私、何でこんなところに居るんだろう?」と言った後、啜り泣く声が受話器から聞こえてきて私の胸に刺さりました。

DV=ドメスティックバイオレンスはアメリカの大きな社会問題の一つに数えられています。外では鴛鴦夫婦を気取っていても、家庭内では地獄のような様相を呈しているという夫婦が私の身の回りだけでも本当に沢山いました。仕事をサボって野球を観に行きクビになった夫、勝手にダイエット器具をカードローンで買ってしまう嫁。どちらもどうしようもない状態、どうしようもなくくだらない事で痴話喧嘩を繰り返している人達。アメリカ人は馬鹿なのか?半年も経たないうちに私の中の憧れの国は、瓦礫置き場のような無為な場所に変わってしまいました。アメリカンドリームはアメリカのどこにも無かった…。見つけたのは壊れかけた社会システムの中の無力なちっぽけな自分だけでした。「俺は何でこんなところに居るんだろう?」。私もまた自問自答を繰り返すようになっていました。

休日になると金のない私はサンタモニカやロングビーチ、ラグナビーチといった海岸へ行き、一日中何もせずにただ座り込んで陽が沈むのを見ていました。そのうちホットドック売りのメキシコ人と顔馴染みになりました。「ホンダで働いてるのかい?」「そんないいもんじゃねえよ、日本人にも貧乏な奴だっているんだぜ。」「そうなのかい、Welcome to Los Angeles!」と言って小さな売店の中から出てきました。彼が言うには海岸沿いに並ぶ高級住宅の殆どは華僑の持ち物なんだそうで、その殆どは中国で生産させた安価な製品を仕入れてアメリカで売捌き一攫千金を得たにわか成金ばかりということでした。「彼奴ら最低だぜ。態度は悪いし、チップはケチるし、ろくなことがねえよ。お前もチャイニーズに間違われないように注意しな!」。

僅か半年足らずで私は私の中のアメリカを失いました。ハーレーダビッドソン、ルート66、グランドキャニオン、ラスベガス、コダックシアター、ビバリーヒルズ、ロックンロール、ブロンドガール、キャデラック…。まるで幼稚じゃないか!サンタモニカの近くにイーグルスのホテルカリフォルニアのアルバムジャケットに使われたホテルがあります。
Welcome to The Hotel California. You can check-out any time you like, but you can never leave!「ホテルカリフォルニアへようこそ。チェックアウトは御自由ですがきっとご満足頂けると思います」。アメリカで生まれた者は夢を失おうともこの国で暮らしていかねばなりません。私はアメリカへの失望の中で自分が日本人であることをはっきりと自覚しました。LA国際空港での最後の食事は、キツネうどんでした。次にアメリカへ来ることがあるとしたら、きっと今の自分じゃないはず…。そう自分に言い聞かせながらLAを後にしました。

終わり

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ラベル:アメリカ
posted by ランボルギーニ・タコラ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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