2017年08月11日

フィリピンにド沈没してみた5

フィリピン人女性の美しさは特筆するに値する。スペイン、中国、米国、日本と様々な人種の往来を経て混血が進んでいるからだ。エキゾチックな愛らしい顔に手脚がスラッと長く骨盤の張ったメリハリのある身体。男達は釘付けになってしまう。少し前に日本で大人気だったアイドルタレントのリアディゾンもフランス人とフィリピン人のハーフだ。

東南アジアの中にあってフィリピンには独特のラテン気質があり人々は底抜けに明るい。女性達も非常に情熱的で我が儘でプライドが高い。その反面、誰にでもフランクに接する可愛らしい面も備えている。最初は観光でやってきた外国人達も彼女達にハマってしまい気が付くと長期滞在してしまう。日本人も例外ではない。ん?誰のことだ?(笑)

そのせいなのだろうか。フィリピンでは様々な女性絡みの犯罪が報告されている。いつの時代も事件は男と女の噂、とは良く言ったものである。美人局(つつもたせ)や結婚詐欺など古典的なものから全く未知の手法まで、長年に渡り滞在したマニラで私自身が直接見聞きした事件を紹介したいと思う。当時の被害者、関係者に迷惑のかからぬよう多少変更させて頂いた部分があるのだが予めご了承頂きたい。

友人のD氏(29歳、男性)は休暇を利用して日本から私に会いに来てくれた。私は日中仕事があるためD氏は夜まで一人で過ごすことになった。フィリピンが初めてだったD氏に私は幾つかの安全と思われる場所を紹介した。私の帰宅までその辺りをぶらついて時間を潰すように依頼した。D氏はそのうちの一つ、マニラ湾にほど近い「ハリソンプラザ」へ行くことにした。庶民的な店が並ぶショッピングモールである。

コピーDVDショップや携帯電話の改造屋などそれまで見たことが無い怪しげな店の数々に彼は興奮した。全てが珍しく面白い。モールは広くエアコンの効きがあまり良くないため歩き回るとすぐに喉の渇きを覚えた。モール内のスーパーで水を買いベンチで休憩していると若くて可愛らしい女性二人組が話かけてきた。”Your shoes are so cool!! Where did you find them?”(貴方の靴、超カッコいいわね!!どこで見つけたの??)。英語が得意でないD氏は困惑していると「アナター、ニホンジンデスカ?ソノクツ、トテモ、カッコイイネ!」と片言の日本語が飛び出した。

「ワタシ、ニホン、イッタコトアルヨ。ナツカシーネ。モット、ニホンノコト、シリタイヨー。」女性二人組はD氏を挟むように彼の両隣に腰をおろした。そして「ウワー、アナター、トケイモ、カッコイイネー。ファッショニスタヨ、アナタ!」とD氏の左腕に両手を絡めて手首の辺りを触ってきた。D氏は流石に狼狽えたのだが、可愛らしい女性達に密着されて悪い気はしなかった。

「ネエ、アナター、ナマエワー?イッショニ、バーデノムノム、コレカラドデースカ?」人生初の逆ナンパである。異国の地でエキゾチックな女性達にモテモテなD氏はこのおかしな状況を都合の良いように解釈し始めた。俺の顔ってフィリピン人女性達には男前に受け取られるのかな…?思考が壊れ始めている。どうせ夜まで暇だし、こんな可愛らしい二人だから悪いようにはされないだろう。ちょっと飲み代集られたって物価が低いから知れてるし。それにこんな美人達とだったら少し高くたって良いや。D氏は飲みに行く誘いを承諾してしまった。

彼女達の案内でタクシーに乗り込みバーに向かった。するとバーとは似ても似つかない民家の並ぶ一帯で車は止まった。「バー、マダアイテナイヨー、ワタシノウチデノムノムシマショ♪」と女性達。D氏は言われるがままに彼女達のアパートへ入っていった。階段を4階まで昇ると小さな一室に案内された。少々不安な気持ちになってきたが好奇心の方が勝り中へと入っていった。部屋は6畳ほどでベッドが一台置かれていた。他には扇風機と冷蔵庫、テレビが一台ずつ置かれていた。これが若い女性の部屋なのだろうか?貧しいから部屋の装飾などにお金がかけられないのだろうか。D氏はそこが彼女達の部屋だと信じ切って疑いもしなかった。

冷蔵庫からビールを取り出すと女性達はグラスに注ぎ始めた。ベッドの上に3人で座り乾杯した。しかし全く冷えていなかった。「ヌルいなあ」とD氏が漏らすと、一人の女性が”Oh, I will get some ice cubes for you!”と言って出かけてしまった。D氏はもう一人の女性と部屋に二人きりである。するとその女性がテレビのスイッチを入れMTVにチャンネルを合わせると音楽を大音量で流し始めた。「ワタシ、ニホンデ、ダンサーシテタ。オドリ、スゴイヨー!」と言うや否やベッドの上でクネクネと踊り始めたのだ。

D氏は面喰ったがフィリピン人女性のラテン気質とはこんなものかとすっかり魅了されてしまった。すると女性はセクシーなポーズを取りながら一枚ずつ服を脱ぎ始めた。D氏は流石に慌てたが突然のこの状況にどうして良いかわからず成す術もなくただ唖然として座り込んだままでいた。やがて女性は下着だけの姿になった。そしてカーテンを閉めるとゆっくりとD氏の服を脱がせ始めたのだ。

こ、これは一体?! 女性はD氏のシャツを剥ぎ取るとベッドの下へ荒々しく投げ捨てた。そしてベルトに手をかけるとズボンを脱しにかかった。あ、まずい! D氏はズボンを脱がされまいと手で押えたのだが、女性は構わずD氏の上に跨り馬乗りになった。そして女性の手がD氏の局部を弄り始めた。こうなってしまうともう抵抗など出来ない。D氏は思い切って成り行きに任せて見ることにした。

女性はズボンを脱がすと先ほどと同じようにベッドの下へと放り投げた。大音量の音楽が流れる中で女性はD氏にキスし始めた。激しく絡み合う二人。D氏は夢見心地になった。なんてこった、フィリピンに来てこんな展開になるなんて…。今までの人生で女性にモテたことなど一度もなかったが、俺にも運が向いて来たかもしれない。そんな風に思いながらD氏はこれから起こるであろうことを想像して頭がいっぱいになっていた。やがて女性はテレビを消すと裸になりベッドの中へと潜りこんでいった。

D氏は無我夢中でベッドの中へと同じように潜りこんでいった。すると女性が苦渋に満ちた表情を見せて訴えた。「イタイ!」驚くD氏。「ワタシ、オナカイタイヨ…」うずくまる女性。そこへもう一人の女性が買い物から帰ってきた。扉を開けるとD氏に向かって大声で叫んだ。”What?! Hey, you! What are you doing?!” 慌てふためくD氏。女性はなおも大声で叫び続けた。”Help! Help!” これはまずいことになってしまった。D氏は慌てて服を拾うと部屋の外へ飛び出し階段を駆け下りていった。道路へ出るとタクシーをつかまえて自分のホテルへと逃げ出していった。

ちょうどその頃、私は昼食を終えて午後の作業に取り掛かっている最中だった。携帯電話が鳴った。声の主はD氏が宿泊しているホテルのマネージャーだった。「〇〇ホテルの者ですが…。貴方のご友人とおっしゃる方がタクシー代を払えずホテルの前でドライバーと揉めているのです。もしお知り合いの方でしたらお話して頂けませんでしょうか?」私は訳がわからず電話を持ったまま立ち尽くしていた。するとD氏の慌てた声が聞こえた。「ごめん、有り金全部盗まれちゃったんだよ!ちょっと助けてくれないか?!」。

上司に事情を話すと私はD氏のホテルへと向かった。ホテルの玄関でタクシードライバーに運賃と少しのチップを渡すとD氏を連れて彼の部屋へと入っていった。D氏はなかなか事情を話そうとしなかったのだが、少しずつ自分に起こったことについて記憶を辿りながら話し始めた。モールに行ったこと、女性にあいアパートまで行ったこと、そのうちの一人と交わりそうになったこと、そしてそこから逃げてきたこと。

私はD氏が落ち着いたのを見計らって職場へと戻った。遅れた仕事をこなしながら同僚達にD氏の話をした。すると皆が一斉に笑い始めた。「わははは、そりゃあ、典型的な詐欺の手口ですぜ。最初から最後まで作戦どおりですよ。そのアパートにはきっと誰も住んでませんぜ。友達が女と交わってる間にベッドの下で待ってた他の仲間が服から金を全部抜き取ったんですよ。で、作業が終わったタイミングでもう一人の女に携帯で合図して部屋に戻らせて友達が慌てるように大声で叫んだんですよ。」

なんとも巧妙なハニートラップである。絶妙なチームワークによる完璧な作戦だ。もし自分が同じ目に遭遇したらどうしたであろうか。美女達の誘いを断ることが出来たであろうか。自分も男だけに被害者にならないとは言い切れない。フィリピンでは典型的な手口なのかもしれないが、初めて仕掛けられた者にとっては全く展開が予想出来ない。気を付けなければ明日は我が身である。

ちなみにD氏だが被害額はおよそ10万円であった。大金である。それでも「あんな可愛い人と楽しいこと出来たんだから、お金が無くなったのは痛いけどそれはそれで良いかなとも思う」とのコメントを残して日本へ帰って行った。まったく、馬鹿に付ける薬は無い…。こんな奴がいるからハニートラップは無くならないのだ。きっとどこかでまた新たな罠がしかけられ、気を緩めた旅行者が餌食になるのである。

<続く>
ラベル:フィリピン
posted by ランボルギーニ・タコラ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

フィリピンにド沈没してみた4

フィリピンでは小学校一年生から英語の授業がある。高校を卒業する頃にはみんな日本人よりも遥かに高い英語力を持っている。日常会話くらいならほとんど問題はない。実はフィリピンの国家収益の10〜11%は海外出稼ぎ労働のフィリピン人達(これをOFWと呼ぶ)からの送金によるものなのだ。それほどフィリピン人達は海外のあちこちで働いている。英語が話せることで比較的容易に働き口を見つけることが出来るのだ。

しかし逆に言えばフィリピンの学校はOFWになるための勉強だけをせっせと生徒達にやらせているとも言える。そのため算数や数学などは二の次にされている。この数学マインドがないことが非常に大きな問題をはらんでいる。足し算、引き算は数字だけでなく普段の生活のなかでも大きな役割を果たしている。何が優先すべきことなのか、排除すべきことはなんなのか。大人達は建設的な思考ができないのだ。物事の先を読むということが出来ない。そのためみな行き当たりバッタリの生活を送る羽目になってしまう。

まず老若男女問わず単純な計算が出来ない。そのため様々な場面でおかしなことが起こる。例えば19時という表現を彼らは理解出来ない。必ず7PMという。すぐに分からなくても12を引けば良いと言っても頭で計算出来ないのだ。とにかく数字というものに弱い。水が何度で沸騰するのか聞いたら「10分くらいかなあ?」と答えた強者もいた。極端に言うと彼らは低賃金で雇用されている自らの矛盾した環境に気が付くことが出来ない。或は政府が低賃金を維持するために敢えて数学に力を入れていないのかもしれない。

あるフィリピン人の友人Kはサリサリストアー(個人レベルの雑貨店)を営むことにした。1万ペソを元手に洗剤や歯ブラシ、シャンプーなどの生活必需品を仕入れて自宅前で販売し始めたのだ。場所がよかったのか初日から売り上げはよく商売は上手く進むと思われた。開店から一ヵ月後に彼は月商を算出してみた。「やったぜ、1万5千ペソも売ったぜ!」と大喜びのK。店を始める前のKの月収は8千ペソだったのだ。翌日Kは近所の人達を招いて盛大なパーティーを開催した。

Kは以前、私が働く米屋のドライバーだったので同僚であった私もそこに招待された。さしずめビックになった自分を見て欲しいということだろうか。会場に行くとレチョンがどーんと置いてある。フィリピン人にとってご馳走の豚の丸焼きである。チキンやパスタ、ピザ。酒もテキーラやブランデーまで並んでいた。このパーティーの盛大さにいささか疑問を感じた私はKにこっそりと聞いてみた。「お前一体幾ら使ったんだよ?」彼は笑いながら「このくらいなんてこと無いぜ、来月もやるから来いよ!」と言った。

そしてその翌日Kは途方に暮れて空を仰いでいた。聞けばストアーをたたむという。何故なら運転資金が底をついたからだ。Kはパーティーに1万5千ペソ全てを使ってしまったのだ。それが利益だと勘違いし翌月の仕入れ資金1万ペソを残さず全て散財してしまったのだった。日本人には全く考えられない話だが、この手のミスは後を絶たないのである。

私が働いていた米屋でもこんな話があった。ある日米を入れる袋の在庫がなくなりそうになっていた。そこでアシスタントの女性に発注するように指示を出した。彼女はどのくらい発注したらよいか聞いてきたので、「そうだな、1日に30枚使うから30枚x1年分で頼んでおいてくれ」と言っておいた。すると数日後に店の前に4tトラックが到着しおびただしい数の米袋を納入し始めた。私は慌てて袋屋に電話をしたが間違っていないという。伝票を見ると24,000枚で発注されていた。

すぐにアシスタントを呼びつけ怒鳴って言った。「誰がこんなに頼めと言った?」「セール(=Sir)です」と彼女は抜けぬけという。「俺は1年分って言ったんだぞ!」と叫ぶ私。「セール、そのとおり発注しました…」と半ベソの彼女。どうも話が噛合わない。指示は正しく伝わっているのに数が多すぎる。ふと、もしかしたらこの「1年分」という言い方が悪かったのかもしれないという考えが私の頭をかすめた。「おい、リサ、1年て何日だ?」「800日です、セール…」。

こんな話もある。お昼休み時に「ワウワウウィー」という国民的人気を誇るテレビ番組があった。人気の秘密は視聴者が参加できるクイズコーナーだった。その賞金が一問正解する毎に倍になっていき最後には1000万ペソという途方も無い金額になることが視聴者を釘付けにさせていたのだ。挑戦者が正解する毎に会場の客席にいる観覧者達もヒートアップしていく。いわば、ミリオネアのパクリ番組である。

クイズは最初のうちは簡単な問題が出題される。マライアキャリーのヒット曲は何か?アメリカの首都は?など。挑戦者は当然、次々に正解を重ねていく。獲得金額もどんどん上昇し会場の熱気は最高潮に達する。そして500万ペソから1000万ペソへの問題に挑戦するかどうか司会者が尋ねる。「やれー!やれーっ!」とけしかける観衆。挑戦者も引くに引けなくなり「やります!」と高らかに宣言してしまうのだ。

そして運命のラスト問題が出題される。「ラスト・クエスチョンです。100÷4は?」勢いよく回答スイッチを叩く挑戦者。「ピーン!50です!」と最高の笑顔」ブブブブー、無残に鳴り響く不正解の音。「あ〜」と落胆する聴衆の声。不正解を導き出し心なしか嬉しそうな司会者が「ああっ、惜っし〜い、回答は25でした〜!」と言い放つ。不正解となるとそれまでの獲得金額は一気にゼロになってしまうのだ。米屋の食堂で番組を観ていたフィリピン人の同僚が私に言った。「あんな難しい問題、答えられる奴いね〜よな!」

<続く>
ラベル:フィリピン
posted by ランボルギーニ・タコラ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

フィリピンにド沈没してみた3

マニラでの生活は数年に及んだが一つだけどうしても慣れることが出来なかったものがある。それは「フィリピン料理」である。一言でいうと「抜群に不味い」のである。私は現在は長期の海外生活から戻り東京で暮らしているのだが、世界の料理が集まるというこの大都会にあってフィリピン料理店はほとんど見かけることがない。実際には東京に暮らすフィリピン人相手の料理屋があるにはあるのだが、つまり、一般的には市民権を得ていないということだ。

その人気のないフィリピン料理だがマニラ滞在中に出会った日本人も口々に「不味い」を連発していた。中には「好きだ」という者もいたにはいたが、よくよく確かめてみると「物凄く大好きかと言われればそうではないが比較的食べれる」ということであった。この手の輩には妻や恋人がフィリピン人である場合が多い。つまりフィリピン贔屓ということなのだが、やはり心底好んでいるという訳ではなかった。

フィリピンに限らず自国の料理があまり美味しくない国では海外の料理が発達する。少しでも美味しい料理を研究して腕を磨き一攫千金を得ようと料理人になる者が多いからだ。逆に中国やフランスのように自国の食文化が発達している国では海外の料理についてはあまり優良店に出会うことはない。その代わり中華料理やフランス料理は世界中に紹介されているほどに高みを極めるという訳だ。料理人達は皆、その世界で腕を競い合うのである。

従ってフィリピンでは自国料理があまり好意的に見られていないらしく333年支配下にあった影響を受けたスペイン料理を始めとして、フランス料理、中華料理、日本料理、トルコ料理など等、世界中の料理をそれなりに高いレベルで味わうことが出来る。特に海外で和食がストレス無く食べられるというのは本当に凄いことだ。このことが私のフィリピン滞在を長くさせた理由の一つと言っても良いと思う。物価が低いため焼肉や寿司、ちゃんこ鍋や焼き鳥、お好み焼きと毎日日替わりで好きなものを食べていた。海外滞在中に太ったのはこの国だけである。

但し、フィリピン料理だけはどうも食指が動かなかった。わりと雑食でパクチー(香菜)やドリアンなどでも平気で食べる私だが、あまり美味しく感じることはなかった。確かに食べれないことはないのだが、朝・昼・晩と三食続くともう限界を感じたものだ。勤め先の米屋のローカルスタッフと仕事の後で夕飯を食べるのは楽しかったが正直なところ酒ばかりのんで食事には手をつけず、帰宅してからラーメンなどを食べたりした。

その美味くないフィリピン料理の中でも、私が特に食べたくなかった料理を紹介したいと思う。「バロット」と呼ばれる半熟ゆで卵がある。これはアヒルの卵なのだが半熟の意味が違うのだ。なんと、孵化する途中の黄身からヒヨコになりかけの状態で食するという不気味な食べ物なのだ。こんな罰ゲームのようなものを若い綺麗な女性達が栄養満点食材として好んで食べていたのだから百年の恋も冷めるというものだ。これを仕事の合間、休憩中に皆が食べろと勧めて来るのである。うげ〜!

まずゆで卵を立てた状態で頭の部分の殻をスプーンで叩き穴を開ける。そしてその穴から中のスープ(?)を飲むのだ。そして次に卵の殻をすべて剥いていく。すると、中から半分ゆで卵で半分ヒヨコになりかかったホラー物体が現れる。それをパクッといくのである。ぎゃーーーーーーーーーーーーー!!これは辛い、なかなかに辛い。ただ何度か食べると気持ちが慣れてくる。味そのものはニワトリのゆで卵とほとんど同じだ。落ち着いて食べればこれは美味しいかもしれない。ポイントは見ないで食べることだ。

もう一つ凄い料理がある。「スープNo.5」である。中華スープのような色をしている液体の中にミートボールらしき肉片が幾つか入っているものなのだが…。実はこの肉片の正体は牛の睾丸なのだ。うぐぇーーーーーーーーーーーーー!!これの何が嫌かというと、ニオイがとにかく臭いのだ。一度このニオイを嗅いでしまうと変な想像が止まらなくなってしまう。食欲減退間違い無し。ダイエット効果は物凄く高いものがあると思う。

そして最後に紹介したい料理が「JOLLY BEE」である。これは料理の名前ではなくバーガーチェーン「ジョリビー」の名称なのだが、そこで出すメニューのほぼ全てが地獄だと言ってよいだろう。このチェーン店はフィリピン資本による自国のオリジナルブランドで海外にも展開している。香港やハワイ、いわゆる出稼ぎフィリピン人(=OFWと呼ばれる)のいるところにジョリビーありというわけだ。私も香港滞在時に一度だけ入り二度と行かなかった。フィリピン系バーガーチェーンだとはその時には知る由も無かったが。

バーガーチェーンと言えば当然マクドナルドが有名だ。世界中で店舗展開しておりどこの国でもマーケットシェア1位を記録している。ところが世界で一箇所だけマクドナルドが2位に甘んじている国がある。そう、それがフィリピンであり理由はジョリビーが一番国民に愛されているからなのだ。しかし、何故ここまでジョリビーは人気を獲得しているのであろうか。子供から大人まで老若男女がジョリビーへ向かう理由とは?

世界の物価を比較する際にマクドナルドのビッグマック単価を物差しにする経済指標がある。フィリピンは物価が低いためこの単価も低く抑えられている。コーラとポテト(それぞれラージ)をセットにしても、なんと250円なのだ。こんな価格設定の国は他にあまり無いと思う。しかしこれがフィリピン人には非常に高い設定なのだ。彼らは正規雇用されていない非正社員の場合、日給が500円なのだ。非正社員には最低賃金法が適用されない。6ヶ月間の試用期間を経て晴れて正社員として雇用されると700円に昇給するのだが、皆5ヶ月で解雇されてしまうため多くの人々の稼ぎは500円。マクドナルドは彼らにとって高級レストランに位置していることになる。

そこに現れたのがジョリビーだった。マクドナルドに子供達を連れて行ってやりたいけど出来ない親達の心をくすぐる怒涛の低価格設定がなされているのだ。一般市民にとって非常に入りやすい敷居の低いバーガーショップ。しかし、内装はマクドナルド並みに洗練されたレイアウトが施されており精神的な満足度も高い。ジョリビーのキャラクターである赤と黄色の蜂は子供達に大人気となっている。この手軽さ故にこぞって皆がジョリビーへあしげく通うわけである。

私は香港時代の苦い思い出があるためマニラ滞在中には自らジョリビーに入ることはなかった。それでも一度だけ日本から友人が私を訪ねてきた時に行ったことがある。好奇心旺盛なその友人がどうしても行って見たいと駄々を捏ねたからだ。「俺はコーラだけ飲む。お前だけ食べろ!」という約束をして、仕方なしに店へと入って行った。店内ではガキどもが我が物顔で縦横無尽に叫びながら走り回っていた。友人も流石にその雑然とした光景に怯んだ様子であったが、それでもカウンターまで行くとビッグマックに似たバーガーセットを注文した。

子供軍団に囲まれたテーブルに着くと私は黙って彼の様子を伺っていた。とにかく、一刻も早く店の外に脱出したかった。コニチワ!コニチワ!と話しかけてくるハナタレ軍団。うろたえながらも友人は最初の一口目を思い切ってガブリといった。するとピタッと彼の動きが止まった。その固まった状態で彼は一言私にこう言った。「脇の下の味がする…」。

<続く>

image.jpeg
ラベル:フィリピン
posted by ランボルギーニ・タコラ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

フィリピンにド沈没してみた2

首都マニラに到着後、数週間はルソン島北部のバギオ、スービック、セブ島やボホール島、ミンダナオ島のバギオなど各地を訪問した。フィリピンは7107もの島から構成されている国なのだ。それで分かったことはマニラだけが飛び抜けた都会で他の地域は全く何もない田舎そのものであるということだった。特に南部のミンダナオ島は貧しく、またマレーシア側からのイスラム教の影響もありカソリック教徒との内戦が未だに続いている地域であった。

ところが意外にもマニラの歓楽街や日本を含む海外へ出稼ぎに来る女性達はこのミンダナオ島出身者が多かった。ポルトガル人のマゼランが1521年にフィリピンを発見した時、彼はセブ島へ上陸した。欧州でフィリピンの情報が伝わるとスペインがミンダナオを始めとする南側の島々に入植し始めた。そのためフィリピン南部はスペイン人との混血が進み南部にあって肌の色が白いメスティーサと呼ばれる容姿端麗なフィリピン人女性が多いのだ。女性達は美しさを武器に様々な地域へと向かうのである。

私はマニラに戻ると滞在費を稼ぐために日系の小さな食品会社に働き口を見つけた。条件はローカル採用、つまりフィリピン人と同じ待遇で雇用されるということである。月給5万ペソ=約10万円である。日本から来る駐在員の待遇とは雲泥の差だ。それでもボロいとは言え社員寮に住まわせて貰い、賄いの食事がついたので物価の低いフィリピンでは十分に暮らしていける額であった。他のフィリピン人社員が1万数千ペソで雇われていることを思えば数段良い条件である。日本語と英語が話せるということで経営者の日本人と従業員の間のパイプ役をやらせようと言うことで少し上乗せがあったのである。

仕事は日本から密輸した闇米を日本食材店に卸す仕事だった。毎日フィリピン人の同僚と共に軽トラックに乗り込み米を配達し、同時に注文を取ってくるというルーティンワーク。仕事自体は非常に簡単で短期間ですぐに慣れることが出来た。覚えが良いと思ったのか社長はどんどんと私に新しい仕事を任せるようになった。米を注文し輸入する実務や買掛金の送金手続き、売掛金の支払いなど内容は多岐に渡った。暫くすると他のフィリピン人の同僚達に一目置かれるようになった。最初は入りたてで経験も無い私の方が彼等より給料が高いことを妬んでいた彼らも私の働きぶりを見て仲間と見做してくれるようになっていった。

一度、仲間になるとフィリピン人と言うのは底抜けに楽しい連中だ。仕事が終わるとビリヤードやカラオケ、ポーカーなど様々な遊びに誘われるようになった。彼らは皆ミンダナオ島から一攫千金を夢見て大都会マニラに出稼ぎに来た連中だった。女と違い南部の男達は美しさを武器に仕事を見つけることなど出来ない。つまり過酷な重労働に従事しなければならなかった。彼らは非常にアクセントの強い独特の言い回しの英語を話すのだが、それはタグリッシュと呼ばれていた。英語とタガログが混じった言語という意味だ。そして特に南部の人間達に特徴的なのがEとIの発音が入れ替わる現象だった。

フィリピンに来た頃にはよくわからなかった「セール」という言葉。実はこれは英語のSIRだったのだ。普通なら「サー」と発音するのだが、IがEになるので「セー」となり、そこに巻き舌のアクセントが加わって「セール」となるのだ。つまり、「セール」と発する男達は南部の出身者だと分かる。日本でもフィリピンパブの女性が「オニガイシマ〜ス」と言ったりするが、これは「お願い」=ONEGAIのEがIの発音になるため「オニガイ」になるのだ。こんなことも日々の仕事とアフターファイブの交流の中で覚えていった。

ある日、日本から駐在で来ていた日本人幹部の一人がフィリピン人従業員に激怒していた。その幹部は海外に行かされることなど全く考えもしたことが無い人だったので英語のえの字も無い状態でフィリピンに駐在し毎日言葉の壁に苦労していたのだ。誰かがヘマをするとその当人と私が一緒に呼び出された。私は通訳なのだが何故かローカルスタッフのリーダー的扱いをされていたので一緒に怒られることが多かった。その日も幹部はめちゃくちゃな英語でキレまくっていた。

「おい、レイマン!テメー何やってんだよっ、このオクトパスがぁ!」横で聞いていた私は腹が捩れそうになった。彼は「このタコ」と言いたいのだ。更に彼の言葉は続いた。「プロブレムだろ、プロブレムー!」。そして、「そんなんじゃなあ、お前マニラベイにドボンだよ!」。ソーリーセ〜ル、ソーリーセ〜ルと只管謝るレイマン…。私はこの殺人的におかしな場面に堪えきれずに大爆笑してしまった。どうやらマニラベイに沈めたいらしい…。これでは伝わる筈がない。当のレイマンも仕事が終わった後、「タコラさん、ボスはオクトパスがマニラベイで問題だって言ってたけど…どういうことなんだろう?」と真剣な面持ちで聞いて来た…。彼は英語が聞こえた部分だけを必死に拾って理解しようとしていたのだ。

しかし、言葉が出来ないのは日本人ばかりではない。英語が堪能と謳われたフィリピン人も実際にはそれほど英語が上手いとは言えないのだ。いま、50歳以上の人達は非常に流暢な英語を話せる人が多い。フィリピンは1950年代までは米国の保護の下でサトウキビ貿易でアジア随一の経済大国だった時期があるのだ。その頃までは非常に高い水準の英語教育が行われていた。だがその後の経済の衰退と共に英語教育の質も低下していった。そのため世代交代が進んだ後の今の若者達はお世辞にも英語が上手いとは言えないのだ。

現代のフィリピンで英語を流暢に話せることは実は特権階級の証でもある。富裕層は子供達に高い水準の教育を与えることが出来る。彼らは米国の一流大学へ留学し大企業の要職に就くのだ。そんな彼らの暮らしぶりをTVのトレンディードラマが一般市民に見せつける。特権階級=英語が流暢、という意識が人々には根深く植え付けられているのだ。だから逆に英語がわからないということは貧しさの象徴とも捉えられている。そのため誰に聞いても皆一様に英語が話せない、わからないとは絶対に言わないのだ。

フィリピン人達と話していると会話が成立しないことが多い。例えばYESかNOかで答える質問をしても「それは神のみぞ知る、だな…」などと答えられたりする。これは英語が分からない人が「分からない」と言えないがためのプライドによって引き起こされる現象だ。質問された方は必死で相手の言葉の中にある知り得る限りの英単語を拾い、それらをつなぎ合せて相手が言っていることを想像して答えようとするのだ。もし仮に「お前、英語がわからないんじゃないのか?」などと言おうものなら、彼らはプライドを気付つけられ逆上する。下手をするとナイフや銃を取り出してくる。普段はニコニコしているフィリピン人だが怒った時は手が付けられないほど恐ろしい。不用意な発言は命取りになるのだ。

相手が女性、しかも若い女性となると余計に英語の下手さを指摘することなど出来ない。人前で泣かれでもしたら周囲の人が集まってきて大変なことになる。フィリピン人は世話好きなので周りの人達が「なぜ泣かせた!」などと追及してくるからだ。その時に「彼女が英語がわからないから…」などと言おうもんなら反感をかって袋叩きにされる可能性がある。信じられないような話だが本当だ。

闇米商で働き始めてから半年ほど過ぎた頃に同僚のフィリピン人女性とデートに行くことになった。とても可愛らしい女性だったため私も有頂天になった。普通はフィリピンでは男性から女性に愛を伝えるものとされている。それなのに彼女の方から誘ってきたのだ。否が応でも気持ちが盛り上がってしまう。約束の場所で待っていると携帯電話にメールが届いた。デートの常だが少し遅れると言う。そして次のメールにはこう書いてあった。「Please wet」=おもらしして!彼女もまたwaitの綴りがわからないくらいに英語が出来なかった。その後のデートで会話が全く盛り上がらなかったのは言うまでもない。それを機に私はタガログを覚えようと勉強を始めたのだ。何とも不純な動機である。

<続く>

image.jpeg
ラベル:フィリピン
posted by ランボルギーニ・タコラ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

フィリピンにド沈没してみた1

イタリアとの国境を接する町、フランス・ヴァルディゼール。スキー客で賑わう標高1600メートルの小村にあるスーパーマーケットでパートタイムの仕事に勤しみながら週一回の休日にスキーを楽しむ生活をしていた。スーパーの賄い飯はあまり美味とは言えなかったが暮らしに余裕のない私に贅沢は言えなかった。それでも週に一度だけは少し贅沢をしようと向かいにあるホステルのレストランに通ったのだ。そこにはスカンジナビアからの大学生達がアルバイトをしていた。そのうちの一人に何とも愛らしい女性がおり、私は一目で魅了されてしまった。う〜む、何とかしたい(笑) 私はスーパーの休憩時間にホステルへ行くと同じく休憩中の彼女に意を決して切り出した。「今晩、一緒にバーに飲みにいかないか?」暫く沈黙が続いた後にOKの返事を貰った。

その後のスーパーの仕事が恐ろしく捗ったことは言うまでもない。そして彼女の仕事が終わる午後10時にホステルからほど近い電気店の前で彼女を待った。しかし1時間待っても彼女は来ない…。標高1600メートルの雪の降る村での1時間は筆舌に尽くしがたい寒さだ。落胆と生命の危機を感じながら我慢の限界に達し、私は一人で彼女と行くはずであったバーへと向かった。すると入口のセキュリティーガードの男が満面の笑みを浮かべながら私に言った。「おっ、色男の登場だよ〜。お前、無謀にも彼女を誘ったんだってなあ。ひゃあっはっは〜!彼女、この店の奥でもう一人の色男と飲んでるぜ〜。」こんな小村だけに私の黒髪は東洋人として独特のアイデンティティーを示していた。暇な村人の話題に私は常に登場していたようだ。なんで知ってるんだよ?!とガードの男に聞く間もなく私は店の奥へと走って行った。するとお目当ての彼女は”彼氏”と共にランバーダーに興じている最中であった。

私の胸の中で大雪崩が起きた音が響き渡った。あゝ、もうこんなところは嫌だ。フランスなんか糞喰らえだ。もういられない。すぐさまスーパーの寮へ引き返すと私は大急ぎで荷物を纏め旅立つ用意を整えた。翌朝、世話になった店長に「母親の具合が悪いらしいから急いでジャポンへ帰らないといけないんだ…、急に辞めることになってごめんよ。」と伝えると、彼は「いいって、いいって、気にするなよ。緊急事態なんだろ?ぷ〜、クスクス!」と嬉しそうに言った。駄目だ、この村は呪われている。一刻も早く離れなければ。私はバスで下山すると一路ジュネーブへと向かった。
空港へ到着する頃になると私は少し我に返って自分を取り戻していた。逃げるように出てきたもののこれからどこへ行くのか全く決めてなかったことに気が付いた。茫然とフライト発着ボードを見上げながら暫く動けないでいた。するとある考えが閃いた。そうだ、フランスを全否定する国へ行こう。暑くて文化的なものなど何もない国が良い。バックパックから世界地図を取り出すと床一面にひろげて眺めてみた。東南アジア、マレーシア、インドネシア、ベトナム、フィリピン…、そうだフィリピンに行ってみよう。これがマニラへ上陸することになったきっかけである。なんとも不純だ。

ニノイアキノ国際空港はフランスのシャルルドゴール空港とは全くの別世界であった。とにかくボロいしよく分からない変な臭いもする。これが国の玄関口である国際空港なのか?!驚きを隠せないまま通関所へと向かった。すると「MABUHAY」と掲示されている。意味が分からない。困った、外国人はどのカウンターに並ぶのだろう?仕方なく免税店の店員に尋ねることにしたのだが…。「MABUHAYというのはどういう意味なんでしょうか?」男性店員は私に一瞥をくべると「ようこそってことよ〜ん。」と屈託のない笑顔で教えてくれた。何となくホモっぽい…。そして「キムチ、キムチ!」と手の平を差し出してきた。私は韓国人だと思われ更に馬鹿にされたと感じ、そのホモに背を向けると何も言わずに通関所へと戻って行った。

通関所を抜けるとバゲージクレームエリアで自分の鞄を探した。すると空港職員と思しき男が頼みもしないのにカートを持ってきて使ってくれと言う。そして、「キムチ、キムチ〜」と言った。その男も手のひらを差し出してきた。一体なんだというのだろう。カートを断り、男を追い払うと自分のバックパックをピックアップして税関へと進んでいった。するとそのカート男が税関におり別の職員に耳打ちをしていた。私は鞄を開けながらパスポートを差し出した。税関職員は私のパスポートを受け取るとなかなか返そうとしなかった。私は手を差し出して「返してくれ」という仕草をした。するとその職員も同じように私に手を差し出し「キモチ、キモチ」と言った。私はようやく気がついた。彼らは「気持ちばかりのチップをくれ」と言っていたのだ。そうか、そういうことなのか。恐らくどこかの日本人のおっさんがチップを渡したためこいつらは癖になっているのだろう。まだペソを持ち合わせていなかったため1フラン紙幣を代わりに握らせた。当時のレートで22円くらいだったが、フランの価値が分からないと見え職員は嬉しそうにパスポートを返すと私を外へと出してくれた。そしてこう言った、「マブハイ、ピリピーン!」。

なかなかの好スタートである。アバンギャルド過ぎる。適当に決めてきた国の割にはかなりのヒットを打った予感がした。タクシーでマニラへと向かった。途中、車窓には恐ろしいほど貧相なバラック小屋が流れていった。空港のそばに貧民街があるのか…。しかしどこまで走ってもその貧民街は続いた。なんという巨大なゲットーなのだろうか。30分ほど走ったところでタクシーを降りたのだが、そこもまた古ぼけた佇まいの街並みであった。もう、街全体が貧民街という感じだ。なんだかすごいところに来てしまったゾ。

気が付くと大勢の汚い子供達に囲まれていた。ウェアユーゴー?ウェアユーゴー?と口々に叫んでいる。その中の一番背の高い少年に空港で聞いてきた宿の名を告げる。すると彼はハウマッチ?と聞いて来た。フランを渡そうとすると首を横に振って言った。「ダラー、プリーズ、セール!」最後の言葉は良く聞き取れなかったのだが、1ドル札を渡してみた。彼はベストスマイルを見せると私を宿へと案内してくれた。その間中、十数人の汚い子供達が付いて来た。まるで何かの団体様だ…。

宿に着くと入口のガードマンが子供達を厳しい口調で追い払った。「ウェルカム、セール!」と言いながら私を中へと案内してくれたのだが、あの「セール」というのは一体なんのことなんだろう…。取り敢えず部屋に入り荷物をドサリと置くと疲労感が襲ってきた。ここまで随分な勢いをつけてやった来たのだから不思議もない。フランスでの出来事やこれからのこと、時差ボケなどが混ざり合い頭が混乱してそのままベッドに倒れこむように眠りこんだ。しかしあまりの暑さのためすぐに目が覚めた。エアコンをつけ忘れていたのであった。スイッチを入れる…。ガイーン、ゴガゴガ、ガイーン!モーター音の大きさに驚かされ唖然とした。これでは休めない…。

喉の渇きを潤すため宿の外へと飛び出した。ちょうど正面に日本食店?のような微妙な出で立ちのレストランがあったので中に入ってみた。「ウェルカム・セール」と女性店員の声が響く。再びさきほどからの疑問が湧き起こる。セール…?ただそんなことよりも早く何か飲みたかった。サンミゲルというブランドのビールを頼む。しかしなかなか出てこない。店員に催促すると面倒くさそうにゆっくりとした動きで栓を開けた瓶ビールを運んできた。一気に飲み込む…、が、ヌルい。ヌルいのだ。こんなクソ暑い日にヌルいビールなど有り得ない。「もっと冷たいの出してくれよ!」と半ギレになりながら叫ぶと、またダルそうに店員がやってきて私の飲んでいるコップに氷をドガッと放り込んだ。あゝ、何も言えない…。凄いぞ、この無気力さ。

氷水で薄まったビールをやりながらこれからのことを考えた。もう少し安い宿を探せないか、どの辺りが繁華街なのだろうか、様々なことが頭を巡る。人間不思議なもので考え事をすると腹が減ってくる。メニューを見るとフランスでは見ることが出来なかった和食の数々が書かれていた。「ヘイ、ミス!ワン、シラスおろし!」と注文すると「ワン、シェラスウォロシ〜!」と店員が厨房に叫んだ。オウム返しに厨房から「ワン、チラスウォロシッ!」と声が響いた。そして待つこと20分、やっと店員が料理を運んで来た。テーブルの上にやけに大きめの器がテーブルにガシンと叩き置かれた。そこには「散らし寿司」が載せられていた…。

ミラクルだ!この国はミラクルが起きる国だ!あまりのアホさ加減が逆に凄く気に入ってしまった。凄すぎるぞ、マニラ。私は思わずエキサイトしてしまい、これから起こるであろうミラクルに期待感でいっぱいになってしまった。ヌルいのだがもう少しビールが飲みたくなったのでダルい店員を呼ぶ。今度はメニューのクアーズを指さしてみる。「フィッチワン?」と聞くのでメニューを覗くとクアーズとクアーズ・ライトの文字が見える。あゝ、そういうことか。「Light! Light!」と頼む。そして10分後に皿に載せられたごはんが運ばれて来た。「ライス…」。

<続く>

image.jpeg
ラベル:フィリピン
posted by ランボルギーニ・タコラ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする