2017年07月23日

中東への旅

タコラというとASEANと中国をメインに旅をして、少し欧州とアメリカ西海岸を渡った人と思われていると思います。しかし実際にはもっと結構いろんな所を旅して回っています。今日はイラクへ行った時のことです。訪問したのは2001年か2002年頃のはずです。このフセインを模した紙幣は2003年まで発行されていたのと、2003年に米国の空爆が始まったので、その前だろうという推測です。そう、ハッキリと覚えていないのです。

実は中東はあまり楽しかった思い出がないのです。せっかく撮った写真のフィルムもネガもトランジットの途中でロストバゲージとなり紛失してしまいました。唯一残ったのがこの250ディナール札のみなんです。ですので、イベントや放送でも中東の話は殆どしません。旅の道中にも大して面白いハプニングも起こりませんでしたし。やっぱり、エロが無くては旅は面白くないです!←言っちゃった(笑)ドバイくらいですかね、そんな雰囲気を感じたのは。他の国はなーんも無し。

ヨルダンのアンマンに滞在していた時に、もう何処の国の人だか忘れてしまいましたが白人達にイラク行きの旅に同行しないかと誘われました。曰く、個人ではビザが取れず、5人以上のグループでツアーに申し込むしか手段がないとの事で人を探していると説明されました。私はほぼイラク行きを諦めかけていたので、この話は渡りに船で即同意しました。かくして、私はイラクの地に足を踏み入れたのでした。

現地では観光相からツアーガイドが派遣されてきました。1週間ほどの旅程で彼方此方へ連れて行かれました。その当時は遺跡群がフセインの命によって大規模に修復がされていました。しかしその内容が過剰と言いますか、普通に元に戻すという事が出来ないのか?と言いたくなるような具合で興醒めの連続でした。宿は毎晩日替わりで決まっておらず、宮殿のような豪華なものからゴキブリ達の歓待を受けるゲストハウス並みのところまで様々でした。

途中カメラで鉄道を撮影しようとした時にガイドの制止を受けました。グループの白人が教えてくれましたが、鉄道というのはその国の重要な軍事機密に値するので写真を撮る事は許されないのだと。しかし他は砂埃に塗れた古ぼけた街並みと砂漠のみで撮るものも無く、後悔を背負いながらひたすら旅程を消化する日々でした。その後は空爆によってその何も無い街並みも修復された遺跡も破壊されてしまいました。街の人達は優しい良い人達ばかりでしたが、何故だか殺伐とした思い出しか残っていないイラク。そのことを唯一思い出させるのが手元に残ったこの紙幣なのです。

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ラベル:イラク ヨルダン
posted by ランボルギーニ・タコラ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする