2017年07月16日

チェチェン人のターニャ

リスナーさんからご質問頂きました。Podcastファッカー電撃隊で話しているロシア人のターニャさんはどんな感じなのですか?と…。でも、もう写真が無いんです。その後に付き合った女性に写真を発見され、何故そんなものをいつまでも持っているのか?と問い詰められた為、勢いで捨ててしまったんです。

で、今回画像検索を駆使してターニャに似た顔の写真を見つけてきました。それがここに添付されているものです。ちょうどこの女性の感じに似ています。目元が特によく似ています。ターニャはこのルックスに似つかわしく無い激エロな人でした(笑)

学生時代の友人が当時丸紅に勤務しており月末に接待費が余ったということで赤坂のインターナショナルパブに行ったんだそうです。その時に意気投合したロシア人チャンネーとデートをすることになったんですが、相手が最初は二人っきりではなく友達も連れて来たいと言った為数合わせで呼ばれたのが私でした。そして勿論その友達がターニャでした。

そのダブルデートでは東京タワーに行きましたが、幸運にも私はいきなりターニャに気に入られ展望台で彼女に唇を奪われるというとんでもないスタートで付き合い始めたのでした。身長が160cmとロシア人にしては小柄でしたが、手足が長く青い瞳の金髪でしたので非常目立つ人でした。よくすれ違う人達にジロジロ見られました。言わずもがな、何でこんな変な男がこんな美女と手を繋いで歩いてるんだ⁈ってことですね(笑)

その後のストーリーは電撃隊でお話ししたとおりです。最後はこれまた劇的な幕切れで関係は終了。3ヶ月間の思い出を残して彼女はロシアに帰って行きました。チェチェンに近いところだと言っていたように思います。その後ロシアに行こうと模索しましたが当時はビザを取得するのが大変で実現しませんでした。今頃どこで何をしているやら。短いながらもこのラッキーな経験のおかげでその後どんなに綺麗な女性と会ってもビビらなくなりました。

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追伸
先月末に義士庵の福岡イベントで帰国した際に東京の実家に寄って来ました。その時に偶然ターニャから貰った手巻き式のロシア製腕時計を見つけました。私の誕生日に記念にと彼女がくれたものです。今でも狂い無く動くのがすごいです。

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2017年07月15日

旧正月の話

2016年1月の内容ですが再掲載します。

近所のスーパーで旧正月の装飾品販売コーナーが設置されていました。先月迄クリスマスの装飾品が販売されていたところです。旧正月は旧暦の正月ということですが、日本では中国暦のひとつである時憲暦が認知されています。また日本以外でも朝鮮半島・ベトナムではこれに従って正月の祝賀行事が開催されます。

旧暦には幾つか種類があり、モンゴルのチベット仏教暦、ASEAN諸国の上座部仏教暦では違う日程で正月が設定されています。皆さんご存知のタイでのソンクラーンがその一例です。旧正月と言っても一概に同じ時期であるとは言えないのです。

ところで中国旧暦の時憲暦ですが、ドイツ人のキリスト教宣教師アダム・シャール(湯若望)によって作られたものだそうです。明朝最後の皇帝、崇禎帝からの命を受け「崇禎暦」を作成しました。しかし1644年に明は滅亡し清の時代へと変遷していきます。清朝はシャールを天文学者として重用し、崇禎暦は1644年10月に「時憲暦」として公布されました。

その後1912年に中華民国が建国され清朝が滅亡するとグレゴリオ暦が採用され正月は1月1日となりました。しかし今でも旧正月というと、中華圏ではこの時憲暦に沿って元旦が数えられています。

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ラベル:中国
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2017年07月14日

アメリカへの憧憬

映画アメリカングラフィティーを観て以来、北米を車で旅する事は私の夢になりました。やがてギターを弾くようになるとBluesにハマって行きました。Robert Johnsonが魂と引換えにギターの腕を悪魔から授けられたというCross Road。南部の綿花畑で重労働を強いられた黒人奴隷の歴史。そんなものまでが加わって、私のアメリカへの憧憬は強くなるばかりでした。いつかあの風景の中に身を置きたい…。

二十歳の頃には横田基地で働き始めました。基地=base campの中には外からは見えないアメリカがありました。映画館、スーパー、ジム、書店、幼稚園から大学まで、そこはまるでニュージャージーの郊外の町のようでした。その中にある当時はまだ日本に上陸していなかったBurger Kingで兵士を相手にWapperを売っていました。この時に一番言葉を覚えたかもしれません。仕事から帰っても家では常にFENをつけっ放しにしていました。

やがて海外放浪を始め、その旅路の果てにLAのAnaheimに住むようになりました。そこではDisney Worldでのパートタイムの職を得て日々慎ましく暮らしました。贅沢などまるで出来ず、憧れていたはずのダイナースでの食事は全く口に合いませんでした。月に一度和食店で食べることが唯一の贅沢でした。

こんな暮らしはいつまでも続けられない…。オリエント=東洋人が出来る仕事は最下層のものしかありませんでした。この時のことがきっかけとなり、私は海外で如何に条件の良い仕事を見つけるかという事を考えるようになります。やがて東南アジアへと生活の拠点をシフトさせて行きました。

昨晩、家の周囲を散歩していました。ふと気がつくと道路沿いにはYoshionoya Restaurantのネオンが夜の闇の中で輝いていました。アメリカングラフィティーの風景は、南半球のインドネシアに取って代わられてしまいました。憧れだけでこんなところまで来てしまった。そう思ったら何だか自分のこれまでの日々が滑稽に思えてなりませんでした。そしてまだまだ旅は続くのだと思います。

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2017年07月13日

2020年12月31日

アメリカは世界の警察ではない、というオバマ大統領演説は、米国経済が失速し不景気である為軍事費用の支出が出来ないようになったとの誤解を招きやすかったと思います。私はこれを逆に観ています。2013年のシェールガス革命によって米国は2020年迄に世界最大のエネルギー供給国になる為、寧ろ今後の経済観測は明るいと見ているからです。地中のシェール層から採れる石油やガスが全米に埋蔵されているのですが、アメリカだけがこの採掘と精製技術を持っています。従って彼等は中東の産油国で覇権争いをしなくて良いということになります。それが故に米国はもう中東には関わりたくないはずです。

この革命によってもたらされるのは、製造業のアメリカへの回帰です。中国やメキシコへ逃げて行った製造業が米国に戻ってきます。何故なら高騰した人件費をこの革命が吸収してしまうからです。エネルギー経費が下がると物価は下がります。これに伴い製造業の原価が下がります。原価=コストが下がると人件費が下がります。企業はブルーカラーを雇用しやすくなりますので工場建設の為の新規投資が増加し国内経済への良いカンフル剤になると思います。ドル高が進み、円安となるでしょう。$=\150くらいになると思っています。

ロシアは天然ガスの世界最大輸出国ですが、米国もガス輸出国となった為、そのシェアを落としつつあります。今後、時間をかけて東欧諸国も米国からのガス購入に踏み切るかもしれません。世界は産業とエネルギーを牛耳った者がその覇権を握ります。つまり、シェールガス革命によって世界のパワーバランスが急速に変わっていくということです。中東産油国での原油価格は現在下がり続けています。何れは経済の停滞を招くでしょう。そうなると中東圏でのパワーバランスもまた変わって行きます。

ここで言いたいのは、これからの5年間は全く新しい世界へと変貌していく激動の期間になるということです。2016年から2020年までは目が離せなくなるでしょう。私もまたこの流れに沿って北米、中米へと拠点を移すかもしれません。そして日本の皆さんの生活も更に変わっていくことでしょう。私の予想では、貧富の差が極端に拡大し、最下層市民が生まれると思います。そのことによって、地域間格差が更に拡大します。首都圏や大都市圏ではゲットーのような地域が発生、地方ではゴーストタウンが発生すると思います。

日本では家電メーカーは衰退の一途を辿っています。カセットテープ→CD→VCD→DVD→Blu-ray→シリコンオーディオと変遷して来たAVも新しい強い製品が出ません。白物家電も節電機能は行くところまで行きつき、他の不要な機能は価格を押し上げる要因となってしまいました。カメラも画像処理ソフトとCCDやCMOSセンサーの発達によって携帯電話にお株を奪われてしまいました。海外でmade in Japan製品がもてはやされた時代はもう昔の話です。Cool Japanが世界で通用すると思っているのは日本人だけなのかもしれません。

もはや日本は世界経済の大きな渦から逃れる事は出来ないのです。そして日本人の個人生活もその大きな渦に巻き込まれる事になっていきます。2020年までに勝ち組、負け組と明暗がハッキリすると思います。自動車しか売るものがない日本は再び世界の経済摩擦の中へ巻き込まれていくことになるはずです。2020年12月31日、私は何処にいて何をしているのか全く想像が出来ません。しかし、私は来るべき世界へのビジョンを明確に持っています。今考えている事がその時までに開花するのかどうかは、その時の私の姿を見て頂ければ分かるでしょう。勝った者だけ語れ、が座右の銘です。嘗て香港で夢見たビジネスマンとしての成功を再び手に入れたい、そんな想いです。今は夜明け前です。
ラベル:面白い話
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2017年07月11日

ジャカルタの渋滞がもたらしたもの

インドネシアの首都ジャカルタは人口1000万人。近隣のエリアを合わせたジャカルタ首都圏に拡大すると東京都と同じくらいの面積で人口3000万人の都市となります。世界的に見てもトップクラスの人口密度です。しかもインドネシア2億5000万人の平均年齢は29歳です。比較的好意的に見られている外国人である日本人がTinderでMATCHを得られる数が異様に多いのも頷ける環境ですw

この大都市には世界最悪と謳われる交通渋滞があります。状態は年々悪化するばかりで、更に昨年より鉄道建設が始まった為異常なほどの渋滞となっています。高速道路が東西南北に延びていますが、それに接続する幹線道路が少ない為車の逃げ場がなく一日中慢性的に混んでいる状態です。

ジャカルタから東に向かって延びた高速道路沿いには大きな工業団地が点在しています。そこには多くの日系企業が入っています。私の勤務先はジャカルタから60キロの地点にありますが、毎朝2時間かけて通勤しています。それも朝5時半に出発です。以前は6時半でしたが、渋滞悪化に伴い混み始める時間も早くなり6時、5時半と推移して来ました。

このような状況に対する嫌気からジャカルタから郊外へ住居を移転する人達が増えています。その為、ジャカルタ首都圏よりも東側のブカシ県、カラワン県の方が賃貸料が高騰するという逆転現象が起こっています。首都圏の方が地方より安いのです。例えるならば、東京23区よりも西東京や春日部に至る埼玉エリアの方が高いんですね。

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元々この渋滞は都市計画の無さに起因しています。ジャカルタの新興住宅地開発も同様に無計画に進行しています。その為、首都圏は新しいマンションには人が入らずゴースト化し、既存物件は値崩れを起こしています。私が今借りているマンションも以前の最高値と比較するとその40%ほどの賃貸料です。通勤環境が悪化するほど、住環境が良くなるというおかしな事になっています。

つまり10万円の物件が4万円で、20万円の物件が8万円で、30万円の物件が12万円で借りれるという事になります。渋滞知らずの高くて狭い郊外の家を借りるか。或いは渋滞に苦しめられるものの豪奢なマンションを借りるか。何れにせよ問題のある、そんなジャカルタの住環境です。但しどちらに住んでも若い尾根遺産とは沢山知り合う事が出来ますwww
ラベル:インドネシア
posted by ランボルギーニ・タコラ at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする